チェコ人形劇物語

☆ビギナー用☆


・人形劇エトセトラ

・チェコ共和国の歴史

・ チェコにおける人形劇の普及

・カシュパーレク

・歴史と対応させてみるカシュパーレクの変化

・まとめ



<人形劇エトセトラ>

一般的人形劇についての豆知識

PUPPET(パペット)…人間がたくみに操作することで生きているように見せる人形のこと。

人形劇…人形が俳優に代わって演じる劇を言う。

人形劇の始まり









チェコの人形劇いろいろ

民族復興時代

1848年、フランスで2月革命が起こり、市民革命の嵐が西ヨーロッパに吹き荒れると、東欧でも絶対王制に対する反動が火を噴いた。

ハプスブルク帝国の内部では、ハンガリーが数度に渡って武装蜂起した。しかし、帝国はこの反乱を残虐に弾圧したのだった。だがこれにより、ハプスブルク帝国が弱体化したのも事実である。

チェコ人たちは、その弱体化したハプスブルクの締め付けの隙をついて、「民族復興運動」を開始した。その担い手となったのは、農村から都市部に流入してきた下層市民たちだった。

 チェコを支配するハプスブルク家は、チェコ人からチェコ語を奪い、チェコ史を奪い、チェコ文化を否定した。しかし、これらの諸要素は決して風化することなく、農村部で生き残ったのだ。ここで大活躍したのが、「人形劇(マリオネット)」だったのだ。

 ハプスブルク家は、チェコの文化活動を様々な形で制限したが、その弾圧の魔手は「人形劇」まで及ばなかった。そこで、都市の文化人たちは人形劇師に身を落とし、農村部で活発に公演することで、チェコ文化の維持存続に尽力したのだった。チェコでは、今日でも「人形劇」がたいへんに盛んだが、その理由には、こうした歴史的背景があったのだ。


巡回人形劇師たち

民族復興時代の人形師たちは、チェコの地方都市の人々にとって非常に重要な存在であった。彼らのかわりばえのない生活に、大きな文化的イベント、発散的な文化経験をもたらしたのだから。当時のチェコは識字率も低く、新聞を買うにしてもとても高かったので、実際に読む人はほとんどいなかった。本も少ししかなく、流通もしなかったのだ。

このことについては後に詳しく述べることにする。


沢則行さんのお話   

<チェコ共和国の歴史>

支配され続けたチェコ

チェコ共和国はヨーロッパの中央に位置し、ドイツ、ポーランド、スロヴァキア、オーストリアに囲まれている。その位置関係から周囲を複数の強国に囲まれ、中世より侵略と抑圧を経験した悲劇的な歴史がある。



←チェコ周辺の地図

以下が主な例。


















民族復興運動始まる

















<チェコにおける人形劇の普及>

民族復興時代の巡回人形劇師たちの活躍

巡回人形師たちは主として地方都市の大人たちに文化を運んできた。劇場は人形劇に興味や文化的味わいを求める人たちによって運営された。彼らはチェコ語で話し、考えや感情を表現した。聴衆は正義の味方と悪者との争いを描写した伝統的で空想的な劇を好んだ。カシュパーレクも聴衆の中の大衆的楽天主義を明らかに取り入れており、一般的にチェコの地方や全国状況についての最新の社会問題に対して、即興劇を通して行動した。しかし、不幸なことにそれらの文献は残っていない。



<カシュパーレク>

カシュパーレクって??

チェコの喜劇タイプのパペットで、※道化の人形。19世紀半ば、彼はチェコの人形劇師たちが操っていたPimprleと呼ばれるオリジナルの喜劇人形に取って代わった。今ではカシュパーレクというと、人形個人の名前と、一般的な‘道化’の意味を含んでいる。

道化…王様が買って身の回りで遊ばせていた芸人。どこにいるときも無礼講で、王様と庶民の緊張を緩和する役割をしていた。

カシュパーレクが主役の劇

カシュパーレクが主役の劇はたくさん存在するが、流れがどれも似通っている。主な登場人物はカシュパーレクと王様、王女様、そして敵(ドラゴンや盗賊など)だ。今ではそこに警察官が加わることもあるらしい。たいていは王様が敵とトラブルを起こし、カシュパーレクがとんちで撃退してご褒美をもらうというもの。

時代とともに変わるカシュパーレクたち







<歴史と対応させて見るカシュパーレクの変化>

今回カシュパーレクについてのいろいろな方からの情報によって、カシュパーレクの姿が見えてきた。カシュパーレクは今も昔も道化の役をこなし、※スラップスティックコメディーのヒーローであることに変わりはない。しかしその役にも少なからず言動の違いが見られた。

以下に簡単にカシュパーレクの変化を示す表をまとめる。

カシュパーレクの変化


1性格

2観客の身分

3年齢

4見た目

5観客の年齢層

6服装

7帽子

8劇中の立場














人形の外観は非常にリアルで、背の低い老人と決まっていた。この姿は滑稽な道化をよくあらわし、それに皮肉られる支配者層をいっそう小ばかにする趣旨で使われていたのだろう。庶民の欲求不満を一手に引き受けていたカシュパーレクが想像される。はじめは脇役だったから、道化と判ればそれでよかったのだろう、服装も統一されなかった。客層は大人から子供まで、幅広い年齢層だった。それは誰でも見ることができる劇だったからだが、子供用の劇がなかったからと言い換えることもできる。そこで‘子供用の人形劇’という発想が出てきた。カシュパーレクは子供向けの人形劇で主役を張るようになった。彼の年齢や外見は一つ一つ違うが、服の色が統一され、“カシュパーレク”は一目でそれとわかるようになった。子供向けになったからか、それとも皮肉を言わなくなったせいか、顔立ちもかわいいものが多くなった。たまにはアレンジされてまったくわからないものもいるが、それもまた特徴をよく引き出した人形になっている。









支配下にあるときは、スラップスティックコメディーの間に支配者層の皮肉を言う役を引き受けていた。母国語を満足に話せない状態の中、チェコ人しかわからないようにチェコ語でしゃべり(チェコ語は難解で他民族にはほとんどわからなかったようだ)、聴衆の鬱憤を晴らしていた。だがそんな窮屈で屈辱的な支配から解放されると、カシュパーレクは風刺などのブラックユーモアから、とんちで笑いを取るようになった。もちろん、本来カシュパーレクはとんちを使っていたし、今でも彼の気に食わない(観客が気に食わない)人物の皮肉を言うこともあるようだが。

その理由は皮肉る相手を失ったことにある。支配層が消えてしまってからカシュパーレクはブラックユーモアを言う必要がなくなった。ブラックユーモアを必要としていた大人の観客に替わって子供むけの人形劇で主役になり、子供に受ける劇を演じるようになったのだ。

※スラップスティックコメディー…複数の登場人物が出てくる劇中で、相手の人形に暴力をふるう下品なコメディー形態。人形が相手をたたくために持っている棒をスラップスティックと呼ぶことから命名された。

<まとめ>カシュパーレクはなぜ現在まで生き続けているのか??!

支配下から抜け出したカシュパーレク

カシュパーレクが今まで存在できていることのひとつの大きな出来事は、戦争を乗り越えたことだ。支配からの解放という節目を乗り越えて、彼は現在まで生き続けることができた。具体的な変化の様子は先に述べたとおりだが、ではなぜカシュパーレクは変化しつつ、戦争を生き残ることができたのか。私なりの意見を述べる。

民族復興時代がカギ

カシュパーレクは民族復興時代に、民族復興運動で国民のヒーローとして祭り上げられた。理由ははっきりとしていないが、おそらくカシュパーレクが道化という立場で庶民の味方だったからだろう。民族復興時代は支配階級との闘争の時代とも言い換えられる。誰はばかることなく皇帝の皮肉を叫び、心の鬱憤を晴らしてくれる存在に、人々は愛着を覚え、やがてそれは広く知れ渡り、英雄となっていったのだ。このことから聴衆がカシュパーレクに愛着を覚え、たとえ変化していてもカシュパーレクを求めたのではないか。

カシュパーレクは時代とともに少しずつ変わっていく

このようにカシュパーレクはその時代の期待に沿えるように自らを変化させている。その大きな要因はやはり観客だ。観客に見向きもされなくなったら人形の命は終わり。だがカシュパーレクは実に長い間チェコ人の人気を勝ち取ってきた。支配から解放という大きな時代の節目も通り越して、時代の波に乗っていく。これはもはや操り手の意思だけではない。カシュパーレクは生きた歴史を持つ、今を生きる人形だ。今も、そしてこれからも、観客を笑いの渦に巻き込むべく劇場でがんばっていることだろう。


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