Tropical Young Supirit

はじめに

ポリネシアとメラネシアの接点に浮かぶ島々、フィジー諸島共和国。南太平洋島嶼諸国のひとつであるフィジー共和国は、今日では「南太平洋の巨人」とよばれ、他の南太平洋島嶼諸国と比べ、経済的に抜きん出た存在である。その背景には英国統治の際に移入してきたインド人による砂糖産業の育成があった。現在でもフィジーにとってのサトウキビ栽培は、リゾート産業と並んで重要なものになっている。

しかしフィジー経済を支えてきたサトウキビ栽培やリゾート産業は直接的に、間接的に、マングローブやサンゴ礁を破壊しているという現実があり、フィジー国内でも問題視されるようになっている。フィジーの農業はこうした環境問題の他にも人種問題などとも深く関わり、より複雑なものとなっている。

今回、このような問題を抱えるフィジー農村で、政府と共に青年研修や植林を行っているNGOを訪れ、二週間という短い期間ではあるが研修に参加させてもらう機会を得た。ここではこの二週間私達が見てきたNGOの実際の活動や現場で働くスタッフの考えなどを紹介し、研修で得た私たちの考えをもとに、植林活動を中心にその可能性を探っていく。



CONTENTS

フィジーってどんな国?
団体紹介
フィジー農林業開発プロジェクト
フィジーOISCA代表山田さんの話
研修を通して
これからの課題


マングローブとりびあ







フィジーってどんな国?

南太平洋の巨人

 南太平洋島嶼諸国のひとつであるフィジー共和国は、今日では「南太平洋の巨人」とよばれ、他の南太平洋島嶼諸国と比べ、経済的に抜きん出た存在である。ではいったい、フィジーはどのようにしてこのような経済発展を成し遂げたのであろうか。

 フィジーは1874年から1970年に渡って、イギリスの植民統治下にあったが、そのイギリス統治時代の初期から、サトウキビ・プランテーションの労働力としてインド人が本国から連れてこられた。 これらインド系フィジー人は契約解除後もそこに留まり、サトウキビ、コプラ等の商品作物の栽培に携わった。また、インド系フィジー人の土地所有はほとんど認められていなかったので、都市を中心に小規模な商業や製造業に携わるものもいた。

他方、原住フィジー人は昔ながらの自給農業に従事し続けていた。その背景として、離島特有の資源の貧しさの他に、共同体的土地所有制度があった。共同体的土地所有はフィジーに限らず、南太平洋島嶼諸国の原住部族社会にみられる土地所有制度である。そこでは土地の権利は共同体に属し所得は平等に配分されていた。そのため原住フィジー人は私的所有を目的とした、資産の貯蓄、経済投資など経済発展の動機を欠いていたので、自給的慣習経済から脱却できなかった。

フィジーの農業や産業を支える砂糖産業の多くは海外企業ではなく、インド系フィジー人が携わっている。そしてこの砂糖産業こそが、それまでの自給経済にインパクトを与え、経済発展の原動力になってきたといえる。原住フィジー人による伝統的自給経済が存続する一方で、イギリス資本とインド系フィジー人によって、市場経済に早くから組み込まれていたことによって、フィジーは他の島嶼諸国とは段階を異にする経済発展を成し遂げたのである。


民族対立問題

フィジーの経済発展に、英植民時代のプランテーションやインド系フィジー人が重要な役割を担ってきたことは先に述べた。しかし、このような特異な民族形態は別の問題も引き起こした。植民統治初期にはインド系フィジー人に対して、原住フィジー人が圧倒的に多数であったのが、植民統治後期には、国土のほとんどを保有し自給農業に従事する原住フィジー人と、主要な輸出作物であるサトウキビを栽培し、小規模な商業や製造業に携わるインド系フィジー人とに二分されるまでになった。

インド系フィジー人が数では上回っていたにもかかわらず、原住フィジー人とインド系フィジー人の対立は、1970年に独立した際も表面化しなかった。しかし、1987年にインド系主体の内閣ができたことに反発した原住フィジー人の軍部が2度にわたるクーデターを起こし、イギリス女王をいただく立憲君主制の廃止、英連邦脱退、共和制への移行を確立した。このような政治的に不安定な状況は、観光客の減少や、海外からの援助の減少、投資の停滞インド系住民、特に経営者や知的労働者の国外流出などを招き、経済的な打撃を受けた。2000年にもスペイト率いる武装集団が、原住フィジー人の権利拡大を要求して、二ヶ月に渡り議会を占拠、首相を監禁した。このように民族間の対立は根深く、フィジーの発展に暗い影をおとしている。

このような民族間の対立は原住系とインド系の経済的格差によるところがあり、いかに原住系フィジー人を経済社会に取り込むかということで、様々な試みが国をあげて行なわれている。




団体紹介

 今年の夏期研修で私たちがお世話になったのは、財団法人OISCA―International(the Organization for Industrial,Spiritual and Cultural Advancement−International)というNGOである(以下OISCA)。OISCAは1961年に創立されて以来東京に本部を置き、今日まで世界33カ国で農村開発協力、環境保全、人材育成、普及啓発など様々なプロジェクトを展開してきた。

 その数あるプロジェクトの中で、今夏私たちが研修させていただいたのが、フィジーでの農林業開発プロジェクトである。フィジーでは現在、サトウキビ栽培や観光のための開発によって環境が破壊され、また世界的な貨幣経済の浸透に伴って、原住フィジー人の自給自足生活が成り立たなくなりつつある。そこで、ここでは1990年から海岸部でのマングローブ植林・山岳部での松植林・サンゴ増殖などの環境保全活動と、主に原住フィジー人を対象とした有機農業及び大工作業訓練の青年研修が行われている。フィジーOISCAのユニークな点は、フィジー国政府青年雇用スポーツ省(以下青年省)と協約を結び、フィジー政府との共同事業という形式で活動しているという点である。青年省と協約を結ぶことによって、青年省の運営する国立の研修センターを使用することが可能となり、OISCAの他国のプロジェクト地のように独自の研修センターを建てる必要性はなくなった。また、他にも国のバックアップを受けているため、OISCAは純粋に活動に専念することができる。このように、国とNGOが協力して事業を展開するという形式は世界的に見ても珍しいものである。






フィジー農林業開発プロジェクト

環境保全活動

山岳部植林・海岸部マングローブ植林・サンゴ増殖

熱帯・亜熱帯の沿岸や汽水域に広く繁茂するマングローブは、豊かな生態系の形成の中心をなし、沿岸魚介類の生産をささえている。マングローブ生態系では樹木が主な生産者であり、そこから発生するマングローブデトリタス(マングローブの枯死したものが海底に溜まったもの)をエビやカニ、巻貝類が食べる。そしてそれらの生物を魚類が捕食し、その魚を求めて鳥類が集まる。またマングローブそれ自体が甲殻類や小魚などの隠れ家となり、生物多様性の豊富な生態系を形作り、ひいては地元住民の水産資源を支えているのだ。

また、マングローブ林は陸圏から流出する栄養塩や汚染物質、土壌の貯蔵場所としても働いている。つまり、栄養塩や土壌をトラップし、少しずつ河口域に供給するダムの役目を果たしている。この栄養塩を利用して有用な植物プランクトン(珪藻類)が多く繁殖する。これらは連続的に沿岸水域に供給され水産生物生産の基盤になるとともに、有害プランクトン(赤潮プランクトンなど)の増殖を抑制している。また流出する土壌をトラップすることにより、サンゴ礁や藻場の破壊を防いでいる。

このほかにも、マングローブ林は土壌浸食を防ぎ、海岸方面へ陸地を拡大したり、高波などの自然災害に対する防壁として役割を果たしている。


◇活動を始めるに至った背景

・ 山岳部植林・海岸部マングローブ植林

 フィジーの産業はサトウキビと観光に大きく頼っている。しかしこのサトウキビ栽培や過度の乱伐や開発のため、ビチレブ島は半分がはげ山となってしまった。マングローブも同じく、過度の乱伐や開発のため減少した。マングローブが伐採されたのは、マングローブが染料や材木、薪炭材として使われるからである。山岳部の森林が減少し、土壌が流出したこともマングローブ減少の一因となった。流出した土壌がマングローブの根の呼吸を妨げるのだ。また虫が発生するという理不尽な理由でマングローブが伐採されることもあった。その他、フィジーにもともと植林という習慣がないことも、山岳部・海岸部の森林減少につながった。

 

・サンゴ増殖

 かつて、海岸部のマングローブは陸の土壌が海に流出するのを防ぐストッパーの役割をしていた。だがマングローブが破壊された場所では、流出した土壌は海まで流出し、堆積し、結果的にサンゴ礁の破壊を引き起こした。
 また村によっては、現金欲しさのためサンゴの密漁を行う村人もいるという事実があった。



フィジーの透明度の高いターコイズブルーの海や、その海に広がる色とりどりのサンゴ礁、多種多様の魚、がフィジーのリゾート産業を支えているといっても過言ではない。しかしマングローブの破壊に伴い、海沿岸部の村では漁獲量が激減し、場所によっては海水が赤茶色ににごっていた。リゾート産業に支えられているフィジーにとってこういった環境問題は死活問題だといえる。


◇活動内容紹介

・海岸部マングローブ植林

 植林活動は基本的に植林の要請があった村で、あくまでも協力という姿勢で行われる。フィジーでの村というのは原住系フィジー人の村のことでインド系フィジー人は村単位では生活していない。よって事実上原住系フィジー人の村単位でマングローブ植林活動は行われている。マングローブの苗は村の海岸に、子供をはじめとした村人たちと一緒に植えられる。植林されたマングローブはその後、村人たちによって世話されていく。

・山岳部植林

山岳部植林は「子どもの森計画(Children Forest Program、以下CFP)」において行われている。CFPとは、OISCAが世界24ヶ国で行っている、次世代を担う子どもたちによる緑化運動のことである。子どもたちに植林意識を身につけてもらうことを目的としているのはもちろんのことであるが、植林に取組む子どもたちの姿を目にすることによって大人たちの緑化への意識を高め、地域の長期的な緑化運動を実現することももう1つの目的としている。

・サンゴ増殖

 さんご増殖プロジェクトは最近始まったばかりであるが、いずれは「さんご園(コーラルガーデン)」を作り、公開しエコツーリズムを行うことによって村が収入を得られるまでにするのが目標である。

◇実際の植林活動

・マングローブ植林

 今回私たちは三ヶ所の村を訪れ、うち二つの村でマングローブ植林に参加した。どの村でも初めて村を訪れるときは、セヴセヴの儀式と呼ばれる、フィジー流の歓迎の儀式で迎えられる。この儀式では「カヴァ」と呼ばれるフィジーの伝統的な飲料が用いられ、それを皆で飲みあう。カヴァとは、ヤンゴーナ(ヤンゴナ)というコショウ科の植物の根の粉を水でもみ出したものである。フィジーに限らず、カヴァはオセアニア地域で広く飲用されており、慣習上の行事や客をもてなす際には不可欠な飲み物となっている。

儀式を終えると外に出て、すぐ近くにある植林地へ向かう。植林地である海岸は村の土地であり、植林後のマングローブの保障もされる。

 植林用の苗は海岸の一角で育苗されていた。その苗を運び、スコップで穴を掘る係とその穴に苗をさし砂をかける係に別れ植林していく。村によっては海岸の土壌が流れてしまっていて、岩がごろごろしていた。こんな場所でも昔はマングローブが生い茂っていたらしい。しかしこのような劣悪な環境では当然ながら苗の活着率も大変低く、2〜3割が育てばよい方で、スタッフは活着率を上げるために試行錯誤していた。

 しかし劣悪な環境での植林でも成長は遅いものの、植えた苗が確実に根付きつつあり、村人も魚など生き物が戻ってきたと喜んでいた。






 村での植林活動はOISCAのスタッフをはじめ、私たちのような海外ボランティアグループの他に、その村の住人も一緒に行う。その中には小さな子供たちも多く含まれ、皆積極的に参加してくれていた。植林されたマングローブの苗は、子供たちを含む村の住人によって世話されていく。

OISCAでのマングローブ植林はマングローブを精力的に植えるというよりは、植林を通していかに村人に活動の意義や重要性を伝えるかに重点を置いて活動が行われていた。

 最後に訪れたナンボティーニ村では村人の意識も高く、村人が一丸となってマングローブの世話を行っていた。このような努力が実り、ナンボティーニ村では、マングローブの森が茂る、元の姿に戻りつつあった。







・山岳部植林

 OISCAの山岳部での植林活動はCFP(子供の森計画)という活動のもとで行われていた。今回私たちはフィジーに数あるCFP小学校のうちの二校に訪れた。

 残念ながら、訪れたのが乾季ということもあって、本格的な植林はできなかった。雨季には小学校近くの山に、松の植林を行っているそうだが、今回はガァヴァやパームなど様々な種類の苗を子供たちと一緒に植えた。

 CFPでは植林のほかに子供たちへの物品援助を行っていて、中古のリコーダーやピアニカを提供し、子供たちと文化交流をはかっていた。私たちはもちろん子供たちにとっても貴重な思い出になったと思う。









フィジーOISCAの環境保全プロジェクトへの姿勢

・ カヴァを酌み交わす

 フィジーのユニークな点は、初めてプロジェクトを導入する村や学校を訪れた際は必ずセヴセヴ(歓迎)の儀式(カヴァの儀式)が催される点である。フィジーは村意識が強く、セヴセヴの儀式で「カヴァ」という伝統的な飲料を飲むことによって、その村(学校)で活動してもよいという許しを得るのである。

また、カヴァはセヴセヴの儀式以降も頻繁に飲用される。彼らはカヴァを囲む場の雰囲気が好きなのだ。初対面同士でも、カヴァの杯を重ねるにしたがい次第に打ち溶け合っていく。スタッフは辛抱強く何回も現地の人とカヴァの杯を交わしながら話し合いを重ね、徐々に環境意識を啓蒙していこうとしている。フィジーOISCAはこのようなフィジーの伝統文化を積極的に取り入れ、現地の人々の信頼を得ることでプロジェクトの意義を理解してもらえるよう努めている。

・フィジー人スタッフの派遣

村人との話し合いなどの際には、できるだけ自分のような日本人ではなくフィジー人スタッフを派遣するよう心がけている。これはフィジー人が出身を重要視する気質のためもあるが、より身近なスタッフがその村での植林計画を進めることで、同じフィジー人としての一体感が出て、住民を巻き込めればという考えによる。






フィジーOISCA代表山田さんの話


 今回の研修中、私たちはフィジー開発団駐在代表の山田雅則さんにお話を伺う機会を得た。以下、そのときのお話を紹介したい。

フィジーOISCAでは環境保全活動と青年研修といった、一見相異なるプロジェクトが並行して行われているが、実はどちらの活動もフィジーの将来を担う人材を育成するという共通理念のもとに行われている。

 環境保全活動にしても農業研修にしても長期的な活動でなければ意味がない。もちろんセンターがいつまでも面倒をみれるわけではなく、持続的な活動には住民の主体的な、自立した取り組みを実現していかなければならない。その際に必要とされるのは、やはり実際に活動していく村人の意識である。そういった意味で、村人にその活動の意味や重要性を伝え、共感してもらいモチベーションをあげていくことが、主体的で長期的な活動に必要なことだと考えている。そしてそのような啓蒙の方法の一つとして行われているのが、カヴァを用いた話し合いだ。フィジーは自然に恵まれているがゆえに、その状態が当たり前になっていて、いくら搾取しても大丈夫だという考えが根強い。そこで幾度となくカヴァを呑み交わして心を通わせ、少しずつ環境保全意識を啓蒙していくしかないのだ。フィジーでは何をするにせよカヴァが必要不可欠である。このカヴァ飲み会のように、OISCA自身が村の中に入って行う外部からの啓蒙活動の他に、OISCAでは村の内部からの啓蒙活動にも力を入れている。CFPや青年研修を通して、環境や国の発展について考える将来の世代を育て、その人たちを通してその意識や活動を村全体に伝播させようというのだ。青年研修についても、そもそもなぜOISCA自身が地元の村に出かけていって技術指導を行わないのかといえば、やはり地元の人材を育てて、その人たちから地元の人へ技術を継承することを重視しているからだ。そして技術継承の際には、研修生活を通して培った環境意識や労働意欲も一緒に伝えられることを期待している。このようなやりかたはより主体的であり、村への帰属意識が強いフィジーでは有効な方法だと考えられる。

地元の人材を育成して、その人たちが地元で活動するようになれば、OISCAは援助する必要がなくなる。フィジーが援助から自立して、環境保全活動を持続しながら発展していくことがOISCAの最終的な目的である。





研修を通して

このようにOISCAは(センターでは)現地住民の主体性を重視し、住民への啓蒙活動に力を入れていた。現地住民のやる気が住民主体の活動の原動力となり、息の長い活動には必要不可欠であると考えているからである。

私たちも今回の研修を通して山田さんの言う「人づくり」の大切さを実感した。たとえば植林活動にしても、海外の私たちのようなボランティアグループが植林を行なったところで根本的な問題の解決にはならない。大切なのは一緒に植林を行なった子供たちや村人に意識を伝え、主体的に活動を続けていってもらうことで、それが理想である。しかし同時に今回の研修では、このような啓蒙活動の難しさも感じた。やはりまだまだ村によってはこういった植林活動を援助としてとらえていて、自分たちが解決するべき問題であるとの認識が薄い村がいくつかあった。そしてこの傾向は都市に近い村ほど顕著であった。都会(または都会の近く)に住む人は田舎に住む人ほど素直でなく、環境保全の必要性を訴えてもなかなか自分たちの問題として捉えてくれないのだという。





これからの課題

 これまで青年省とOISCAから成っているこのセンターのうち、OISCA側に立って話を進めてきたわけだが、青年省はいつまでもOISCAに援助してもらうわけにはいかない。青年省はどちらかというと環境保全活動より青年研修を重視しているようだが、今後はOISCAが援助の手を引いた後のことも見据えて、青年省がより積極的に環境保全活動に介入していくことが求められる。OISCAとともに啓蒙した人たちが活動を継続できるように、フィジー人自身が推進する環境保全活動を支援することも必要だろう。援助からの自立に向けて、フィジー人自身で活動を持続させる力を身につけることが重要なのではないか。

また、政界では人種の対立が激しく、青年省が原住フィジー人によって運営されているためか、ここでの活動は主に原住系が対象とされていた。だが、インド系住民も環境破壊に荷担している以上、これからは人種の違いにこだわらず、インド系住民も活動に取り込んでいく必要がある。密漁されたサンゴを購入したり、観光を楽しむ外国人も環境破壊の一端を担っているということも忘れてはならない。これからは、あくまで原住系・インド系フィジー人の自発的な行動を補助する程度に、スタディツアーやエコツーリズムを実施するなどして、外国人に対しても環境意識を啓蒙していくとよいのではないか。青年省は原住フィジー人が管轄しているが、この施設では人種の違いにこだわらず、インド系フィジー人にも、旅行者にも活動の対象を広げていってほしい。今一度フィジーの環境問題をフィジー全体の問題として、地球問題としてとらえ、問題解決を図ることを、私たちはセンターに提案したい。


最後になりましたが、今回の研修でお世話になったフィジー青年研修センターのスタッフの方々、研修生の方々、渡航前に私たちとフィジー青年研修センターの連絡の仲介役をしてくださったOISCA東京本部の森田章さん、研修生活を共にした桜美林国際交流センターの松戸秀樹さん、高原幸治さん、桜美林大学の学生のみなさんに心より御礼申し上げます。


参考文献

『国際協力 その新しい潮流』  

  下村恭民・辻一人・稲田十一・深川由起子著  有斐閣  (2001)

『アジア型開発の課題と展望 アジア開発銀行30年の経験と教訓』  

  嘉数啓・吉田恒明編   名古屋大学出版会  (1997)

『国際援助の限界[ローマクラブ・リポート]』  

  ベルトラン・シュナイダー著  田草川弘・日比野正明訳  朝日新聞社(1996)

『文化・開発・NGO ルーツなくしては人も花も生きられない』  

  ティエリ・ヴェルヘルスト著  片岡幸彦監訳  新評論  (1994)

『国連とNGO 市民参加の歴史と課題』  

  馬橋憲男著  有信堂  (1999)

『NGO活動入門ガイド』  

  石渡秋著  実務教育出版  (1997)

『開発と文化6 開発と政治』  

  川田順造・岩井克人・鴨武彦・恒川恵市・原洋之介・山内昌之編  岩波書店 (1998)

『フィジーの農林業』

社団法人 国際農林業協力協会  創造社  (1997)

『Fiji’s Natural Heritage』

Paddy Ryan EXISLE (2000)

参考ウェブページ

http://www.jbic.go.jp/japanese/oec/oda/index.php

http://www.yuanbo.com/fish/terapia s.html

http://page.freett.com/ovh/mangrove.html



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