<沢則行さんのお話>人形劇の伝播について

人形劇がチェコで流行している理由を、人形劇師の沢則行さんに伺った。

〜どうしてチェコで人形劇が広まったのでしょうか?

チェコは歴史を見ればすぐにわかるように、ずっと他国に支配され、抑圧されてきた。そのような背景から、チェコ人は自分がどうしようもなくなると抵抗せずにすぐ笑う。「どうにもならないなら自分が笑え」という表現さえある。しかし一方で、自国語に対する深い忠誠心もある。フランスなどが自国語を簡略化しだしたときも、チェコは中世の農民の言葉をそのままに守ったのだ。チェコ語はそのため今もとても複雑で、チェコ人たちは外国人にわからないようにしゃべる。

オーストリアに支配されていたとき、町中でもそんなにチェコ語は禁止されていなかった。ストリートパフォーマンスでもチェコ語は使えた。(ストリートパフォーマンスの一種であった)人形劇が流行った要因にこのことも関係している。抑圧されていたところは人形劇が流行する。人形に自分の気持ちを持たせることができるからだろうか。

〜日本にも文楽という形で人形劇は存在します。なぜ日本では流行していないのでしょうか?

文楽は当時のワイドショーの役割をしていた。近松門左衛門など、そのとき起こった事件を元に台本を書き起こしていた。曽根崎心中とか。でもその役割はテレビに移行した。そのために文楽は衰退していったのだろう。

〜チェコで現在でも活発に人形劇が行われているのはどうしてでしょう?

チェコの人形劇は日本のアニメやコミックと同じ。ジャンルが生きている。演劇はいま若い人で一杯。国が小さくて人口も少ないからどこでもライブができる。人形劇には今のまま元気でいてほしいね。

沢さんて、どんな人?

沢 則行(さわ・のりゆき)

1991年に渡仏。92年に文化庁在外研修生で、チェコへ。

世界20ヶ国以上で公演、ワークショップ指導を行う。

1999年、「森」と小作品集に対してヨーロッパ文化賞「フランツ・カフカ・メダル」授与。

2000年、チェコ共和国ハベル大統領府主催、夏のシェイクスピア演劇祭に選抜され、プラハ城の中庭で「マクベス」他、2時間半の一人芝居を上演、大成功をおさめる。

2001年、国際交流基金と劇団ドラック共同制作による「モル・ナ・ティ・ヴァシェ・ロディ!-ロミオとジュリエット-」を企画制作。共同演出、日本語台本も担当、ハンガリー国際人形劇祭グランプリ、イギリス・バース国際シェイクスピア演劇祭正式招待上演など、ヨーロッパ、日本でのツアーを展開。

2002年、チェコ児童劇団「TY−JA−TR」演出・美術で、プラハ児童演劇祭グランプリ。

2003年、ヴァイオリニスト中西俊博とのコラボレーション「KOUSKY=小作品集」を青山円形劇場にて上演、大好評を博す。

国際人形劇連盟(UNIMA)会員。

チェコ国立芸術アカデミー演劇・人形劇学部教諭。



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