海外農業研究会 |
ブラジルに根付く“日本”を探す
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2-2 地理と風土・気候
南半球に位置するブラジルは日本と四季が反対で5~
7 月が冬、11~4 月が夏にあたります。広大な面積を
持つため、北部は熱帯、中部・南部の北は亜熱帯、サ
ンパウロ以南の南部は温帯に近い亜熱帯と南に行く
ほど涼しくっていきます。
北部地方
北部地方はアマゾン川流域とブラジル高原から
成ります。熱帯に属し、一年を通し蒸し暑い。雨季
と乾季があり、乾季の8~9 月にかけてはほとんど
雨が降らず、アマゾン川の水嵩
みずかさ
は雨季に比べて20 メートル以上も低くなるところもあ
ります。
中部地方
中部地方はブラジル高原の中央部にあたり、一年中高温で雨は少ない。乾季の長い熱
帯サバンナ気候であります。低木が点在するカンポ・セラード(サバンナ原野)が広が
っていますが、内陸部には「生命の楽園」と呼ばれるパンタナール湿原が存在します。
南部地方
ブラジル高原の南東部と河川領域の平野からなります。気候は熱帯サバンナ気候と乾
季のない湿潤温帯気候から成ります。高原部には険しい山岳が見られます。
2-3.歴史
ブラジルはコロンブスの新大陸発見から8 年後の1500 年にポルトガル人のカブラール
によって発見されました。ブラジルという呼び名は当時ヨーロッパで赤色の染料として使
われていたブラジルスオウに似たパウ・ブラジルという木が新領土で発見されたことから
名付けられました。当初はこのパウ・ブラジルと北東部の沿岸地域での黒人奴隷を用いた
サトウキビ栽培以外にこれといった特産物もあ
りませんでした。しかし17 世紀末に金鉱とダイ
ヤモンド鉱脈が発見されるとゴールドラッシュ
が巻き起こり、内陸部まで開拓が進みました。
19 世紀初頭にナポレオン率いるフランス軍の
ポルトガル本土を侵略すると、王室は一時ブラジ
ルに避難してきました。ナポレオンの失脚後に国
王は本土に帰国しましたが、皇太子はブラジルに
留まり、1822 年に本国から独立してブラジル帝
国初代皇帝となりました。
1888 年に欧米よりはるかに遅れた奴隷解放がなされ、翌89 年には政治体制が共和政に
移行しました。1968 年から85 年までの間に軍事政権をはさむが、現在も共和政が続きま
す。ブラジルの経済は1980 年代にインフレや不況、累積債務問題などで一時低迷しまし
たが、現在では国内総生産が1 兆8000 億ドルを超え、ラテンアメリカで最大の経済大国
に発展しています。ロシア・インド・中華人民共和国と並んで「BRICs」と呼ばれる新興
経済国群の一角に挙げられ、今後の発展が期待されています。
2-4.日本との関係
日本とブラジルの関係は1895 年の修好通商航海条約調印から始まります。1897 年に両
国には公使館が設立され、本格的な国交が始まりました。
当時、奴隷制を廃したばかりで深刻な労働力不足に陥っていたブラジルは移民を積極的
に受け入れており、1908 年の笠戸丸を皮きりに日本からの移民が始まりました。その数
は戦前戦後を合わせて約25 万人にものぼります。
その後、第二次世界大戦期はブラジルが連合国軍側であったため一時国交断絶に陥りま
したが、大戦後は再び良好な関係を築いています。日本は、1962 年にODA として両国の
合弁企業のウジミナス製鉄所に融資を行って以降、“何も育たない不毛の地”と呼ばれて
いたセラード地域の開発援助など多くの援助を行ってきました。2008 年にはブラジル移
民100 周年を迎え、いっそうの両国の交流が期待されています。